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織田信成選手 五輪関連記事(2010年02月)
織田信成選手関連記事

結晶ISU-Biography
2009/10シーズンプログラム曲
SP:Totentanz by Franz Liszt (modern arrangement performed by Maksim Mrvica)
FS:Chaplin medley(チャップリンメドレー)
 ※チャールズ・チャップリン※amazon検索
 ※チャールズ・チャップリンについてWikipedia

本2010.01.29発売氷上のプリンスたち 高橋大輔・織田信成・小塚崇彦 バンクーバー五輪フィギュアスケート男子日本代表パーソナルブック

テレビYouTube検索 - 織田信成(動画サイト)
テレビNobunari Oda - Metacafe検索(動画サイト)

02/19 織田、大技を繰り出せず五輪に幕
織田は冒頭に予定していた4回転ジャンプに挑まず、3回転に変えた。「4回転に挑戦できるだけの実力が備わっていないということ」と、声を絞り出した。今季中の成功を目指す大技を繰り出せず、4年に一度の舞台の幕をひいた。
 10日にカナダ入りした後は好調を維持した。本番会場での公式練習でも何度か着氷し、4回転−3回転の連続ジャンプまで跳んでいた。それが前日、当日の練習では1本も着氷できずじまい。「調子は悪かったので自分で決めた」と明かした。
 今季は達成目標に掲げながら跳ばない試合が続く。五輪出場権をかけたグランプリ(GP)シリーズ、GPファイナルの計3戦はすべて回避。カナダ行きを決めて臨んだ昨年末の全日本選手権で挑んだだけだ。
 調子の善しあしに関係なく挑戦してきた高橋、この日初めて成功した小塚とは対照的に映る。ひざの柔らかいジャンプを持ちながら、結果を最優先するモロゾフ・コーチの方針、自身の弱気が災いし大技の精度を磨ききれないようにみえる。
 途中で靴ひもが切れる事態もあり、得点を積み上げられなかった。「もっと練習するしかないと感じている」。課題だった表現力を示す5項目では、4つで7点台後半の高得点。弱点が消えつつあるいま、さらなる上積みは天性のバネを持つジャンプの精度だ。
.sanspo.com/vancouver2010/news/100219/
コミカルな演技、靴ひも切れて暗転=織田「真っ白という感じ」
喜劇王、チャプリン映画のメドレーに乗ったコミカルな演技が一瞬にして暗転した。バンクーバー五輪のフィギュアスケート男子フリーで18日、織田信成選手(22)=関大=にスケート靴のひもが切れるアクシデント。初めて臨んだ五輪で不運に見舞われ、「頭が真っ白という感じ。悔いの残る大会になった」と、目には涙が浮かんだ。
 軽快な滑りに異変が起きたのは後半。試合前に直した右靴のひもが3回転ジャンプで再び切れると、次に跳んだ際に完全にほどけた。織田選手がジャッジにアピールして音楽が止まり、場内には異様な静寂が。観客席にいた父の信義さん(67)も「足でも折れたんじゃないかとびっくりした」。
 リンクから右足だけ出して急いで対処しても、動揺は簡単には収まらない。再開直後に送られた大きな拍手がせめてもの救い。「お客さんに勇気づけられ、最後まで滑ることができた」と言う。結果的に3点の減点もあってショートプログラム4位から7位へ順位を落とし、「ショック過ぎて言葉にならない」とうなだれた。
 織田選手にとっては、4年前のトリノ五輪代表最終選考会であった採点集計ミスや、バイク酒気帯び運転の不祥事を経て迎えた初の大舞台。信義さんは「五輪での演技を見られてうれしかったし、あきらめずによく頑張った」とねぎらう一方、「(米大リーグ、マリナーズの)イチローさんのようにもう少し道具を大事にして、日ごろからちゃんとしないと。少し抜けたところがある」と苦言も。残念そうに会場から引き揚げた。
.jiji.com/jc/olympic?id=vancouver&s=toplist
信成明かす…「靴ひもは演技の前から切れていた」
織田信成は気がついていた。だからこそ悔いが残った。「演技の前から切れていた。感覚狂うのが、いやだったから変えたくなかったので切れたところをくくってやっていました。フリップ終わったら全部ほどけちゃって…」。
 あふれる涙。あの時、代えていればと思えば思うほど、自分の判断の甘さが悔やまれてならない。7位入賞の喜びはかけらもなかった。
 演技後半だった。ジャンプの着氷が乱れ、手をついた後に右足の靴ひもが全てほどけた。「最後まで行けるかと思ったが…」。しばしぼう然とするしかなかった織田。気を取り直して、コーチのもとへ駆け寄り、靴ひもを交換。演技途中の中断による減点を覚悟しての決断だった。
 会場のなんとか最後まで演じきったが、後ははっきり覚えていない。「悔いが残る大会になった。4回転は挑戦するだけの実力がなかった。自分の責任。終わった瞬間は真っ白という感じだった」。何度も「自分の責任」という言葉を繰り返したが、その度に大粒の涙がとめどなくあふれ出た。
sponichi.co.jp/sports/flash/KFullFlash20100219079.html
織田7位 靴ひも切れるアクシデント「ショックすぎ」…フィギュア
◆フィギュアスケート(18日・パシフィックコロシアム) 信成、やっちゃった〜!! SP4位の織田信成(22)=関大=はフリーでジャンプが乱れ、スケート靴の靴ひもが切れる前代未聞のアクシデントに見舞われた。ひもを結び直して演技再開したものの、フリー得点は153・69点で合計238・54点となり、SPから順位を下げて7位でフィニッシュ。織田信長の末えいの天下統一を目指した五輪初挑戦は、悔いの残るほろ苦い結末となった。
 織田に信じられないアクシデントが起こった。演技開始から3分26秒を経過した時だ。3回転ループで転倒すると、急に演技をやめた。審判席に向かった織田はズボンをめくり上げてアピール。なんと右足の靴ひもが切れてしまったのだ。会場がざわめく。モロゾフ・コーチの顔からも血の気が引いた。顔面そう白の織田はひもを結び直す。観客が拍手ではげますなか、1分56秒後に演技を再開したが中断で2点、転倒で1点と計3点も減点。「ショックすぎて言葉にならない。(頭の中が)真っ白」。最後まで滑りきったが、インタビューでは大粒の涙を流した。
 使いこんでつま先の革が削れた愛着のスケート靴でメダルに挑んだフリー。実は靴ひもは演技の前から切れていた。「感覚が狂うのが嫌で替えなかった」と無理やりつないで滑った。切れたひもがジャンプの衝撃に耐えられるはずはない。中盤の3回転フリップを跳んだ際に切れた。まだ靴のフックにからんで滑れたが、次のループで全部ほどけた。「最後まで行けると思ったけど…。すべて自分の責任」と泣きじゃくった。
 夢にみた五輪の舞台。前に滑ったライサチェクへの大歓声が止まらず「足がすくんでしまった」と動揺。最初に予定していた4回転ジャンプは「挑戦するほど自分の実力が備わってない」と回避し、3回転ルッツに変更した。直後のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)の着氷も乱れ、完ぺきとは言い難い演技内容。3点の減点がなくても5位止まりだった。
 トリノ五輪代表選考会の05年全日本選手権や06、07、09年世界選手権では連続ジャンプを規定より多く跳ぶ違反で減点されたことがある。心配だったミスが大事な場面で出た。今季はGPシリーズ2連勝、GPファイナルも2位とメダルを狙える実力を備えていただけに「悔いが残る」と肩を落とした。
 これで終わるわけにはいかない。「きょうの反省を生かして頑張りたい」と必死に前を向いた。4月からは関大に復学し、英語の教師を目指して学業と競技を両立するが、立ち止まってはいられない。4年後のソチで天下統一。信成の野望は燃え続ける。
 ◆フィギュアの中断ルール 選手は「続行不能」と判断した場合に、演技の中断を審判に申し出ることができる。理由には「靴ひもが切れた」「体調が悪い」「髪が乱れた」「コスチュームのボタンが外れた」など基本的に制限はない。減点は2点で、転倒2回分に相当。認められているのは審判が中断と判断した時点から3分以内。それを超えると棄権となる。
 ◆フィギュアの靴
 ▼ハイカット くるぶしよりも約20センチ高いブーツのような形。
 ▼ひもの長さ スピードが約60センチなのに対し、約2メートル。
 ▼材質 綿に比べ、丈夫なナイロン製が多い。
 ▼フック ひもは途中までは穴に通すが、上部は結びやすいように、金具でできたフック(4つ程度)に引っかける。日本スケート連盟によると「着地などで負担がかかり、ひもがフックに擦れて、摩耗する」。
 ▼交換 埼玉県のスケート教室によれば「早い生徒で1か月に1回替える」。トップ選手では試合ごとに替える選手も。
 ▼手入れ 伸びてくるため試合の数日前からならす。直前に替える選手はほとんどいない。
 ◆織田 信成(おだ・のぶなり)1987年3月25日、大阪・高槻市生まれ。22歳。関大休学中。7歳からスケートを始め、04年全日本ジュニア優勝。05年世界ジュニア優勝。06年四大陸選手権優勝、GPファイナル3位。08年全日本選手権優勝。世界選手権は06年4位、07年と09年は7位。コーチはニコライ・モロゾフ氏、母・憲子さん。戦国武将・織田信長の17代目末えい。164センチ、56キロ。血液型A。
 ◆信長とひも 1570年(永禄12年)4月、織田信長は越前国の朝倉義景を攻めようと木の芽峠を越えようとしていた。すると、浅井長政に嫁いでいた妹・お市の方から、両端をひもで結んだ袋に入った大好物の小豆が陣中見舞いとして届いた。それを見た信長は前後が結ばれていることの暗示から、浅井家が謀反して後ろから攻めようとしていることを察知。急きょ京都へ引き返し、助かった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100219-00000272-sph-spo
織田選手7位 涙乗り越え演じきる
フィギュアスケート男子の日本初の五輪メダルは、赤銅色に輝いた。大きなけがを乗り越え、五輪での集大成を宣言していた高橋大輔選手(23)=関大大学院=が18日(日本時間19日)、こん身の演技で銅メダルを獲得した。織田信成選手(22)=関大=は靴ひもが切れるまさかのアクシデントに見舞われ、7位。小塚崇彦選手(20)=トヨタ自動車=は初出場の大舞台で見事に4回転ジャンプを決めて氷上を躍動、8位に入った。
 なんで、こんなことが本番、しかも五輪で起きるのか−。フリーの演技中に、靴ひもが切れる思わぬアクシデント。負けて泣き、勝って泣く。「自分の敵は心の弱さ」。繊細すぎる性格と評される織田信成選手にとって、このトラブルはどれほど演技に影響を与えたのだろう。
 そんな織田選手が初めて氷の上に立ったのはフィギュアコーチの母・憲子さん(62)に連れられて訪れた3歳のころのこと。五輪を意識したのは高校生になってからだが、本当の出発点はトリノ五輪直前。「あの時行けなくて、バンクーバーには絶対行くという気持ちになった」
 トリノ五輪代表を争った2005年全日本選手権。一枚の切符を高橋大輔選手と最後まで激しく競り合った。一度は自分の優勝と発表されながら、採点ミスが発覚。すでに表彰も受けていた。消えた五輪切符。一晩泣き続け、翌日にやり直した表彰式でも涙は止まらなかった。
 トリノ五輪はテレビで見た。大舞台で演技をする高橋選手に、自分の姿を重ね、次の五輪を目指す気持ちを強くした。翌シーズンの06年世界選手権では4位に入ったが、心の弱さが競技以外で出たのが07年夏。酒気帯び運転で出場停止処分を受けて、1シーズンを棒に振った。「あの時が一番きつかった」。厳しい批判を浴び、その後は孤独な練習に耐えてきた。
 そして「出場するのが夢だった」五輪。ショートプログラム(SP)で4位につけて迎えたフリーで、憲子さんと握手して、リンクの中央に立った。順調な滑り出しだったが、後半でジャンプの着氷を失敗。氷に手をついた際、右の靴ひもが切れた。数分の中断後、気持ちを立て直して演技を再開したが、表情は沈んだままだった。
 次のソチ五輪のことはまだ考えていない。休学中の大学もこの春から復学する。
◆“殿”に大拍手 清須市民声援
 愛知県清須市の清洲ふるさとのやかたでは、市民ら150人が集まり、清洲城名誉城主の織田信成選手の演技をかたずをのんで見守った。
 靴ひもが切れるアクシデントがあり、同市清洲、アパート経営河村洋和さん(60)は「かわいそう。でも一生懸命に滑り、好感が持てた」と話していた。
 演技が終わると、健闘をねぎらう大きな拍手が起こった。
 競技前に市民らは、やかたに隣接する清洲公園にある織田信長公の銅像前で、子孫の織田選手の必勝を祈願。甲冑(かっちゅう)武者や市のマスコットキャラクター「きよ丸」と「うるるん」も登場し、会場を盛り上げた。
chunichi.co.jp/article/sports/news/CK2010021902000240.html
まさかの中断も全力…不運にめげず懸命に 織田は7位
無念――。織田信成選手は演技のジャンプの失敗時に靴ひもが切れ、中断するまさかのアクシデントに見舞われた。ひもを締め直す間に、スタンドからは拍手が起こった。それに励まされたのか、再びリンクに戻ると、時おり笑顔を作りながら懸命に演技を立て直した。
 フィニッシュを決めた時、はじけるようないつもの笑顔はなかったが、織田選手は拍手と歓声に手を振り、一礼しながら、「ありがとうございました」とつぶやいた。
 採点を待つ間は、母の憲子コーチと握手し、少しだけリラックスした表情も見せた。点数が伸びなくても嫌な顔一つ見せず、声援にこたえながら会場を去った。
トリノ落選の悔しさバネに
 仲間に誓った日から、山あり谷ありの4年間だった。
 2006年2月。母校の関西大(大阪府吹田市)で、トリノ五輪に出場した先輩・高橋選手の演技をテレビで見ながら、織田選手は同大学アイススケート部の仲間と約束した。「次の五輪はみんなに応援してもらうよ。絶対、向こうの舞台に立つから」
 05年12月、トリノ五輪出場をかけ、全日本選手権に出場。優勝と発表された後、採点ミスがわかり、五輪切符を失った。一晩泣き、親友に「結果を受け入れるしかない」と打ち明けたという。
 バンクーバー五輪に向け、練習量を増やした。4回転ジャンプに必要な筋力をつけるため、週5〜6日、トレーニングを続けた。その結果、06年10月のグランプリ(GP)シリーズ開幕戦で優勝。さらに07年3月の世界選手権で総合7位と、世界の強豪に肩を並べた。
 しかし、同年7月、ミニバイクの酒気帯び運転で、5か月間の国際大会出場停止処分に。織田選手が自ら「4年間で一番きつかった」という時期。家族やファンに加え、同大学アイススケート部の仲間たちが支えた。日本スケート連盟がボランティア活動を指示した際には、「1人は目立ってつらいやろ」と約15人が淀川河川敷の清掃に集った。
 08年に復帰。今季はGPファイナルで日本人最高位となる2位に入り、一番乗りでバンクーバー行きを決めた。
 フリー演技では、靴ひもが切れるアクシデントに見舞われた。幼い頃からフィギュアスケートで技を競い合ってきた北垣達矢さん(24)は「ジャンプなどはきれいに決まっていたので、余計に悔しい。でも、厳しいプレッシャーの中で、最後までよく頑張った。次を目指してほしい」と話した。
osaka.yomiuri.co.jp/news/20100219-OYO1T00948.htm
織田まさか!靴ひも切れ7位…フィギュア
◆フィギュアスケート(18日・パシフィックコロシアム) 男子フリーを行い、SP4位の織田信成(22)=関大=はスケート靴ひもが切れ演技を中断するアクシデントがあり、フリーは153・69点、合計238・54点で7位だった。
 織田は4回転を封印しフリーに望んだが、演技後半にジャンプの着氷が乱れ、手をついた後に右足の靴ひもが切れるアクシデントがあり、逆転メダル獲得はならなかった。
 織田信成「ショックすぎて言葉にならない。(ジャンプで靴ひもが切れ)最後まで行けるかと思ったが、全部ほどけてしまった。悔いが残る大会になった。4回転は挑戦するだけの実力がなかった。自分の責任。終わった瞬間は真っ白という感じだった」
hochi.yomiuri.co.jp/vancouver2010/skating/news/20100219
靴ひも切れた!懸命な立て直し、織田に声援
無念――。織田信成選手は演技のジャンプの失敗時に靴ひもが切れ、中断するまさかのアクシデントに見舞われた。
 ひもを締め直す間に、スタンドからは拍手が起こった。それに励まされたのか、再びリンクに戻ると、時おり笑顔を作りながら懸命に演技を立て直した。
 フィニッシュを決めた時、はじけるようないつもの笑顔はなかったが、織田選手は拍手と歓声に手を振り、一礼しながら、「ありがとうございました」とつぶやいた。
 採点を待つ間は、母の織田憲子コーチと握手し、少しだけリラックスした表情も見せた。点数が伸びなくても嫌な顔一つ見せず、声援にこたえながら会場を去った。
yomiuri.co.jp/olympic/2010/news/skate/news
02/19 「人を笑顔に」と信長の末裔=サービス精神あふれる織田選手
少し悲運を感じさせるところは、かの有名な先祖の姿に重なるようでもある。バンクーバー五輪のフィギュアスケート男子日本代表、織田信成選手(22)=関大=は戦国武将・織田信長の17代目の末裔(まつえい)として知られる。
 子供のころはつらい思いもした。「いじられるというか、ほとんどいじめだった」。ちょんまげにしないの、とからかわれ、音楽の時間にはリコーダーが刀になった。日本史の授業で安土桃山時代になると教室がざわざわした。高校時代には数カ月の間、「武将」というあだ名をつけられた。
 大人になっても泣き虫だった。前回トリノ五輪最終代表選考会の全日本選手権では採点集計ミスがあって優勝を取り消され、2007年にはバイクの酒気帯び運転で1シーズンをふいに。そのたびに涙をあふれさせた織田選手は、人懐っこく、愛嬌(あいきょう)があり、サービス精神を大切にする青年だ。
 フィギュアスケートの取材なのに「信長」のことをよく聞かれる。それでも大阪出身だけに関西のノリで答えたりして嫌な顔はしない。信長が明智光秀に襲われた本能寺を参拝してネタを提供したりする。バンクーバーの晴れ舞台でのフリー曲は「チャプリンメドレー」。「いろいろあったけど人を笑顔にするために頑張っている。そんなチャプリンが好き」。自身に重ね、そんな思いで滑った。
.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=20100219
02/18 いざ天下獲り!織田“メダル圏内”4位
メダルを狙えるのは高橋だけじゃない。フギュアスケート男子SPで五輪初出場の織田信成(22=関大)が84・85点をマークして、3位・高橋と5・40点差の4位と好発進した。
 初めて立った夢のリンクでの演技を終えると、小さく息を吐き出した。織田の青白い表情が、五輪の緊張感を雄弁に物語っていた。「自分としては満足」と84・85点の4位発進に手応えを口にしたが、「凄い緊張して、あっという間に終わってしまった。とりあえずホッとした」と目を潤ませながら本音を漏らした。
 演技前、6分間練習のアナウンスで「戦国武将・織田信長の17代末裔(まつえい)」と紹介された。「あまり聞こえなかったけど、それもアリなんじゃないですか」。五輪用に新調した衣装で、冒頭のトリプルアクセルに成功。続く連続ジャンプは踏み切りが完ぺきではなかったが、3度のスピンすべてで最高評価のレベル4を獲得するなど安定した滑りを見せた。
 4年前、関大の先輩・高橋と1枚しかないトリノ五輪切符を争った。最終選考会の全日本選手権で一度は優勝と発表されながら採点ミスで順位が入れ替わり落選。コーチで母の憲子さんの胸で号泣。「次の五輪には絶対に行くんだ」と誓った。
 07年夏には「一番きつかった」事件が起きた。ミニバイクの酒気帯び運転で摘発され、謝罪会見で大粒の涙を流しながら頭を下げた。苦しかった時期を乗り越えてリンクに立った。「自分が社会のどのポジションにいるか、自覚できるようになりました。アスリートとして成長しました」と憲子さんは目を細める。
 カナダとは縁が深い。高校時代にカナダのバリーで強化合宿を行ったことがある。初出場で4位と健闘した06年世界選手権開催地もカルガリーだった。初の五輪がバンクーバーだったのも運命なのかもしれない。
 3位・高橋とは5・40点差、首位・プロシェンコまで6点差。メダルはもちろん頂点も手が届く位置にある。公式練習では4―3―3回転の連続ジャンプに成功するなど大技への手応えは十分。「調子を見て判断するけど、4回転を入れるつもりで頑張ります」。織田の懐には、ライバルを斬り捨てる名刀が忍ばせてある。
 ◆織田 信成(おだ・のぶなり)1987年(昭62)3月25日、大阪府高槻市出身の22歳。7歳からスケートを始め、05年世界ジュニアで優勝。3度出場した世界選手権では4位、7位、7位。07年夏に酒気帯び運転で摘発されて出場停止の処分を受けたが、08年NHK杯で復活優勝。今季はGPシリーズ連勝、ファイナル2位と好調。1メートル64、56キロ。
sponichi.co.jp/olympic/news/2010/02/18/
初出場織田選手 成長の地 奮う
「何度もスケートをやめたいと思っていた」。中学時代までは、そんな思いを抱いていたスケーターが、十六日(日本時間十七日)のフィギュアスケート男子のショートプログラム(SP)で、四位の好位置につけた。五輪初出場の織田信成選手(22)だ。 
 上を目指す転機は、二〇〇四年世界ジュニア選手権で惨敗した後のカナダ合宿。初めて一人で行った海外だった。
 初出場した世界ジュニアは十一位。「世界の壁を感じた。すごい練習して行ったのにショックだった」。その年の夏。高校三年だった織田選手は一人で海を渡った。カナダのバリーで二カ月間、ホームステイしながら練習を積んだ。
 そこで指導を受けたのが、現在は女子のキムヨナ選手(韓国)を担当する名振付師のデビッド・ウィルソンさん。ジャンプばかりを考え、踊ることに対する意識の低さを思い知らされた。「衝撃的だった。さらに練習しようという気持ちになった」
 織田選手にとってのアイドルは、一九九八年長野五輪で銀メダルを取ったエルビス・ストイコさん。カナダが誇る名選手の豪快な4回転ジャンプにあこがれた。優勝した〇六年世界ジュニア選手権の開催地もカナダのキッチナー。
 「カナダで練習して、カナダの先生に成長させてもらって強くなれた」。思い出深い地で初めて立った五輪の舞台。メダルの望みを託して十八日(同十九日)のフリーへと向かう。
tokyo-np.co.jp/article/sports/news/
織田ミスなし4位でメダル圏/フィギュア
16日(日本時間17日)◇ショートプログラム◇パシフィック・コロシアム
 五輪初出場の織田信成(22=関大)が、ショートプログラム(SP)で4位につけた。4つのジャンプをミスなくこなし、3位の高橋大輔(23)とは5・40点差。18日(日本時間19日)のフリーで、逆転のメダル取りに挑戦する。
 演技を終えた織田は、放心状態だった。「なんかものすごく緊張していたので、あっという間に終わった。自分としては楽しめたかなと思います」。演技前の6分間練習で、戦国武将・織田信長の末裔(まつえい)と紹介された。緊張で、耳に入らなかった。だが、マキシム演奏の曲「死の舞踏」が始まると集中した。
 トリプルアクセル、ルッツ、トーループも決め、最後のフリップも成功させた。大きなミスもなく滑り切った。「思った以上に、五輪という舞台で点数をいただけたので、満足いく出来だったと思います」。フリーの出来次第では、メダルを狙える位置につけた。
 長かった五輪への道のり。05年12月の全日本選手権で優勝し、06年トリノ五輪切符をつかむも、表彰式の約1時間後に訂正された。判定ミスが発覚し、五輪への道は閉ざされた。一晩中、泣いた。母の憲子コーチからは「実力を身につけて(代表権を)取っていけばいい。私もこれから一生懸命、勉強して教えるから、あなたも頑張りなさい」と言われた。以来、恨み節は封印し、バンクーバーにたどりついた。
 柔らかい表現力は、バレエ仕込み。中学時代、「自分は手の動き、指の表現がきれいじゃないから」と、姉が通うバレエ教室に押しかけた。女子に交じって、動きを見てもらった。今も時間があれば、アドバイスをもらう。この日の演技後は「日本から応援してくれる人たちの言葉を聞いて、勇気づけられました」とも言った。
 フリーは「チャプリンメドレー」を踊る。喜劇役者を演じるなら、緊張による、こわばった顔は禁物。心から笑えた時、結果は必ずついてくる。
http://vancouver2010.nikkansports.com/figure/news/
02/17 「練習してきたこと信じて」絶好調の織田4位
バンクーバー五輪第5日の16日(日本時間17日)、男子フィギュアで「表彰台」を目標に掲げる織田信成が、初めて挑む五輪のSPでも今季の好調さをそのまま発揮した。
 本番を前に、緊張はピークに達した。大好きな選手、トリノ大会銀メダリストのステファン・ランビエル(スイス)が演技した直後の大声援を聞いたとたん、「もうだめかな」と弱気になった。
 しかし、とにかく「練習してきたことを信じて」、演技に入った。今季、好調を維持できた大きな要因はジャンプの安定感と完成度の高さ。緊張しながらの舞台でも揺るがない安定度で、ミスなくまとめた。
 実は、GPファイナルで出した243・36点は今季、プルシェンコ、ライサチェクに続く3位で、高橋よりも高い。この日も演技を終えたプルシェンコが挙げたライバルの1人に、織田の名前もあった。日本のメダル候補は高橋だけではないことを、改めて世界に示した。
yomiuri.co.jp/olympic/2010/news/skate/
涙乗り越え、初舞台=織田、好位置につける−男子SP
 オールバックに髪をなでつけた織田は集中していた。曲が始まるまでの短く、少しの声援だけが聞こえる静寂の間、何が頭を駆け巡ったか。さまざまな出来事があった4年を経て立った大舞台。SPはそつなく演じ切り、「五輪の舞台で思った以上の点数をもらった。すごく満足」。フリーで勝負できる位置につけた。
 これまでに何度泣いただろう。2005年末の全日本選手権では採点集計ミスで優勝もトリノ五輪代表も逃し、涙した。3季前にはバイク酒気帯び運転の不祥事を謝罪し、目を赤く腫らした。
 その翌シーズン、いい出会いがあった。優勝請負人モロゾフコーチの元へ。織田は性格的に、厳しいことを言われると落ち込む。そんな繊細な内面を知ってか知らずか「いいよ、いいよ、と言ってくれる。本当にそう思えるような自信を与えてくれる」と言う。褒められて、伸びた。
 元アイスダンサーのコーチは、ひざの柔らかさが着氷を美しく見せる織田のジャンプも飛躍させた。今季はグランプリ(GP)シリーズで連勝し、GPファイナル2位で五輪へ。不運や自身のふがいなさに直面して涙を流し続け、世界のトップで戦える力を身に付けた。
vancouver.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100217
織田、コーチ変更で表現力磨く
コミカルな印象もある織田が、SPにマキシム演奏の「死の舞踏」を選んだ。「表現力を磨きたい」とトリノ女王の荒川静香を育てたモロゾフ・コーチに師事して2シーズン目。「自分の弱さへの怒りや強さを意識した」。初出場の舞台で、本来は苦手な速い旋律に乗ってSPを演じ上げた。
 2007年夏の酒気帯び運転による出場停止処分などで、翌シーズンを欠場した。ステップアップのため、当時ライバルの高橋のコーチだったモロゾフ氏に指導を仰いだ。翌年から大学も2年間休学し、同コーチと鏡の前で表情の作り方まで練習。昨年12月のグランプリ・ファイナルで2位。「(表現力を示す)演技点も上がってきた」
 コーチのいる米国と日本を行き来する。にぎやかな家庭で育ち、一人で過ごす米国生活は「部屋に戻ってもだれもいなくてホームシックになった」。だが「ノブなら絶対できる」と背中を押してくれるコーチも、一緒にリンクに立つことはない。だから「一番の敵は自分の心の弱さ」と我慢する。22歳は緊張だけでなく、孤独とも戦いながら、ただ演技に没頭する。
sanspo.com/vancouver2010/news/100217/

02/15 表彰台から教壇へ!織田 いざ出陣
“メダリスト先生”を目指して、いざ出陣だ。フィギュアスケート男子は16日(日本時間17日)にショートプログラム(SP)が行われる。
 15日は会場のパシフィックコロシアムで公式練習が行われ、織田信成(22=関大)ら日本勢が最終調整した。同じグループの5人が練習ウエアで汗を流す中、織田だけは五輪用に新調したSP用の衣装を着用。4回転ジャンプには挑戦しなかったが、トリプルアクセルを決めるなど好仕上がりをアピールした。
 戦国武将・織田信長の末裔(まつえい)にとって五輪はスケートの最大目標だが、別に人生の目標もある。関大文学部に在籍中で、競技に集中するため4年になった08年春から休学しているが、五輪後の4月に復学。教職課程を取っており、将来は英語教師を目指している。「勉強もしたいみたいだし、来季は競技との両立になる」と関係者。現役を引退するわけではないが、学業との兼ね合いで来季はトップパフォーマンスから遠ざかる可能性があるだけに今大会にかける思いは強い。
 10日の現地入り以降、何度も4回転に成功するなどコンディションは万全。「重圧はあると思うけど、それに打ち勝ってこそ強い選手」と気合を入れた。表彰台に乗ればフィギュア日本男子初の快挙。いずれ立つ教壇に輝くメダルを添えるためにも、SPでロケットスタートを決める。
sponichi.co.jp/sports/news/2010/02/17/

02/13 我慢できず?織田出ちゃいました!
バンクーバー五輪は12日(日本時間13日)、市内のBCプレースで開会式を行い、17日間にわたる熱戦が開幕した。フィギュアスケート男子の3人の中で唯一、織田信成(22=関大)が開会式に参加。11日の時点では不参加の予定だったが、この日になって急きょ参加を決めた。午前中の練習では、4回転ジャンプは失敗していたが「時差ぼけはない。選手村はきれいだし、ご飯もおいしい」とリラックスしていた。
vancouver2010.nikkansports.com/figure/news/f
織田、念願の五輪を満喫
 フィギュアスケート男子の織田信成(関大)が開会式の入場行進を存分に満喫した。念願だった初の五輪。日本男子の出場枠が一つだった前回トリノ大会は、五輪代表最終選考会の全日本選手権で前代未聞の集計ミスもあり、2位で涙をのんだ。
 独自の調整で大会に臨む選手が多いフィギュア陣にあって、アイスダンスのリード姉弟とともに日本選手団の行進に加わった。スタンドの座席についてもカメラを片手に立ち上がってはしゃぐなど、心から楽しんでいる様子だった。
jiji.com/jc/olympic
信成一族悲願の“天下獲り”手応え
メダル獲得の期待が懸かるフィギュアスケート男子代表の織田信成(22)=関大、高橋大輔(23)=関大大学院、小塚崇彦(20)=トヨタ自動車=が11日、本番会場のパシフィックコロシアムで初の公式練習を行った。初めての五輪に挑む織田は、SPではなく、エキシビションの曲をかけてしまうというミスもあったが、4回転-3回転の連続ジャンプを2回成功させるなど、好調をアピール。一族悲願の“天下獲り”に向けて、手応えをつかんだ。
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 日本が誇る“コミカル王子”が、いきなりやらかした。本番リンクでの初の公式練習。音楽が鳴り始めると、織田の表情に?が浮かんだ。流れたのはSPではなく、エキシビションの曲。大慌てで改めてCDを持っていくはめに…。いきなりの大失敗に織田は「こんな勘違いは初めて」と、ただただ苦笑いだった。
 それでも締まらなかったのは最初だけ。練習ではしっかりとキメた。転倒もあったが、4-3回転の高難度連続ジャンプを2度成功させ「すごく感触はよかった」と、本番舞台で確かな手応えをつかんだ。
 最大の強敵にも刺激を受けた。日本勢の前に練習を行っていたトリノ王者プルシェンコの様子を視察し「練習からさすがチャンピオン。僕も冷静にやらないと」。即実行とはいかなかったが、昨年中国杯で「社会の窓」を開けたまま滑り、優勝した経験を持つ男。ご愛嬌(あいきょう)のミスは、織田なりの自然体の証しともいえる。
 海外メディア用のスタッフから、バレンタインのチョコはもらったか?という質問に「ガールフレンドと家族から」と、ちょっぴり大胆に英語で答えた織田。演技でも、コメントでもユーモアを忘れない男は、あくまで自然体で夢舞台に挑む。
http://www.daily.co.jp/newsflash/2010/02/13/0002709176.shtml

02/12 フィギュア織田が初練習で好調アピール
  メダル獲得の期待が懸かるフィギュアスケート男子代表の織田信成(関大)、高橋大輔(関大大学院)、小塚崇彦(トヨタ自動車)が11日、本番会場のパシフィックコロシアムで初の公式練習を行った。初めての五輪に挑む織田は、SPではなく、エキシビションの曲を掛けてしまうというミスもあったが、4回転-3回転の連続ジャンプを2回成功させるなど、好調をアピール。一族悲願の“天下獲り”に向けて、手ごたえをつかんだ。
http://www.daily.co.jp/newsflash/2010/02/12/0002707329.shtml


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